「聾唖教育の一斑」


藤本敏文 (1915)「聾唖教育の一斑 (1)」『芸備教育』129: 25–26.

藤本敏文 (1915)「聾唖教育の一斑 (2)」『芸備教育』130: 23–25.

藤本敏文 (1915)「聾唖教育の一斑 (3)」『芸備教育』132: 17–20.

 

財団法人全日本聾唖連盟の初代連盟長を務められた藤本敏文氏(1893-1976) が大正4年(1915年)、弱冠22歳にして広島盲唖学校の教員を務めているときしたためた講演録の体裁の記事には「聾唖の言語としての符牒法」という文脈がみられます。日本聾史研究会ではこの記事の翻刻をおこない、この記事の先駆性を紹介することにしました。なお、翻刻にあたっては、漢字の旧字体は原則として新字体に翻字しましたが、旧送り仮名はそのまま翻刻しました。


聾唖教育の一班(一)

聾唖教育の起源

聾唖教育の起源をお話するに先だち聾唖とは何ぞや即ち聾唖の意義に就て一通り述べるのが本意でございますが、聾唖の解剖的関係は中中複雑で、古来種々の議論が学者間にもございまして、未だ確固不抜の定義なるものを発表されて居りませんし、又其時期にも到達して居ない様にも考えられます。且又私は医者でございませぬ故、然様いう専門的方面に足踏みして危きに近寄るという様な事は致したくございませんから、可成く実際上に就てお話いたしたいと存じますが、一口に手っ取り早く聾唖とは何であるかと申しますに、口腔や声帯や咽喉やは完全であって、声門の真声帯、仮声帯の夫等は普通人と少しも異りないのに係らず、言語を発する事の出来ないもの、即ち約言すれば発声機関は完全であるのに言語が出ないものをいうのであります。夫が原因に就て耳が聞えない、即ち聴覚がないからというに帰するのが多数を占めて居るのであります。これが事実であるかどうかは保証いたし兼ねますが、兎に角こういうのが目下の聾唖の意義としての有力な説なのでございます。

 さて斯ういう生理的欠損者を対象として教育を創めたのは何時頃からで又誰がやったかと申しますと、凡そ今から二百年前仏国のシャーレー、ミセール、ド・レペイという貴族がやり出したのであります。最も其以前に教育したという形跡のないではありませぬが、夫等は一種の魔法の様に僧院の奥深き所で僧侶が高い報酬をとって極めて秘密にやって居たので、それは多分千六百年前後にあった事とおもわれますが、これは教育とは言えないのであります。つまり僧侶達の布教上の手段の一つとして試みたもので、従って教育の精神になって居なかったと容易に臆断されるのであります。

ド・レペイという人は、初め墨子を志願して神学校に這入りましたが、不平であった為めに中途で退いて、今度は法律学校に入りましたが同様、当時の社会の有様に飽き足らなかった為めに、夫も止して、其後怏々として暮して居たのでありましたが、或日偶然聾唖の姉妹を見るに及んで非常に感動させられ氏の胸どん底に潜んで居た美しい感情が猛然と迸り出て奚に一種の強大な興味と共に其姉妹を教育しようという志を決めたのであります。それからは実に驚くべき献身的態度を以て一切を犠牲として其生涯を只管聾唖教育の為めに尽したのであります。そして其教育を公開したのみか、無報酬を以て聾唖教員を養成したので前の僧侶達とはまるっきり異って居ました。それで該教育は起源をド・レペイ氏に発したものとするのが一般に承認される訳になったのであります。ドレペイ氏は実に聾唖界の恩人でありまして、其教育法や伝紀に就て大いに感歎啓発されるべき点が甚だ多いのでございますが夫は、又他日申上げる事にいたしまして、兎に角、ドレペイ氏によって芽生し、夫より漸次欧州各地に拡がり遂に我が邦にも其移植を見るに至ったのでございます。それは古河太四郞という京都の士族が維新に際して国事に奔走し禁に触れて刑に所せられたのでございますが、出獄後はしなくドレペイ氏と同一の動機で非常な苦心して、初て盲教育と一緒に聾唖教育の機関を京都市に創立されたのであります。然し乍ら古河氏は決してドレペイ氏の生涯や其事業及至欧州の該教育の事実を承知して創設運動を始めたのではなく、全く偶然に発見した兄弟の聾唖が徒然に暮し居る光景を目撃せし為めに、兼ねて獄中に於て抱懐されたる感情が油然と湧き出たのでありまして、彼是比較するときは其対照が甚だ妙であります。即ち斯くして我邦に於ける聾唖教育が明治十一年五月京都盲唖院に創始せられ逐次増加を見、今や各府県に一校の割合にて該教育の機関が設けられるに至ったのでございます。

 これはほんの梗概に過ぎないのですが、該教育の起源なるものは先ずざっと此歴のでございます。

 

(二)

聾唖教育の精神

不具や白雉や不良少年や孤児等に教育並び感化的影響及至救済を施す様になったのは近代文明に於ける注目すべき運動であります。社会を一個の関連した環と見るときは其随所に脆きものの腐廃に傾けるものが甚だ少くない、即ち不健全なる分子が至る所に存在するのでありまして、夫が甚だ社会に対して危険を増長するのであります。即ち之を治直して健全に為す事は甚だ大切、有効なことで其全体の環を強くすることになり従って社会の負担を軽減し且発達を促進することになります。

 そこで盲、聾唖、不良少年の如き特殊教育の範囲に属するものを教育するというのは、結局右の如き見地から発達して来たものと考えるのが最も至当でありますが、聾唖教育に就ては更に特種なる内容を附加せねばならないと考えます。即ち憐慇の情緒が其教育運動に伴って居なければ、真実充分の発達を望む事は困難と考えられるのでございます。之に就て私自身が聾唖である為めに自己防衛若は自己保存上の便宜として、かかる主張を為すものと誤解さるるならば、私は非常に迷惑を感じます。今や本邦の相当見識ある聾唖者は成可被保護者の位置に置かるるのを不名誉として甚だ欲ししない様になって居るのでございます。然し仮令其様な考一があっても聾唖教育には何所までも憐慇の情緒か教育者の胸裡にないならば真実の成功を納め得ないと私は断言するのでございます。即ち夫は該教育の創始者たるドレペイ氏、将又本邦に於ける古河氏が発憤の動機に就て考察するも容易に首肯される事でありまして、此の憐慇の情緒は永久に該教育の精髄にして一貫すべきものと思われるのであります。

 ただ、茲に一つ断って置きたいのは此の憐慇の情緒なるものは何所までも教育其ものに限って居ることで、聾唖一般に指していうことではないのでございます。何故なら聾唖が教育されて、其勤労によりて生活する様になったことはつまり一個の人間となったのでありますあkら、最早然様いう感情の必要は認めない方が順当と考えられます。又聾唖者自身に於ても然様いう境涯に到達したるときは被保護者の地位に立たされることは甚だ喜ばないので寧ろ之を避けるか若は却て同類の保護者たる位地に立たん事を欲する様な傾向を既に示して居るのでございます。それで憐慇の情緒は何所までも教育者が対象其ものに対する態度に就ての根本問題として要求さるべきものであります。

 

聾唖教育の可能及其価値

 聾唖は古代に於て一種の神秘的化物と見做されたこともあった位で教育などとは夢にも想到されなかったことで又然様でないまでも、どうかすると生育しない以前に殆んど公約的に殴殺されたものであります。これなどは其最ひどいものでありますが、よし生育した所で人間の形態をした動物位に思われ又、其如く取扱われ随分みじめな対偶を親兄弟からも当然の如く興えられ、聾唖自身に於ても全く無自覚的に甘受しつつあったのでございます。尤も本邦ばかりでなく地球至る所然様いう有様でありました。就中僻地の如きに於ては悪魔の化身と思惟して惨酷たる仕打ちを敢てしたものでございます。然し仲には往々篤志な人がないではありませんでしたが、意思の疎通に就て全く失敗でありましたから、どうしても教育らしい教育は施すに余地ないものと信ぜられ、又一般に認められて居たのであります。一例をいえば彼の弾丸の如きであります、畏れ多くも天智天皇の皇子中にも聾唖者がおわしましたのでございますが、やはり同様の御境遇に生涯せられ玉ひし事と推察されるのであります。通うな次第でありましたから、勿論聾唖の教育は不可能と思われて居たのでありますが、夫が段々破壊するに充分な有力な事実が続々と表われて来たのであります。夫は一つには科学や文明的仁愛の賜にも依りましょうが、教育者の絶えざる今期と憐慇の情緒の興って甚だ力あるのでございましょう。それで聾唖の教育は決して不可能でない、特殊なる方法、手段を以て教授したなら矢張普通人同様の効果を収める事が出来るという結論を将に得つつあるのであります。今や世界の強国と称せらるる国々は素より二流三流の国々に至るまで聾唖教育という事は極めて熱心に行われて居りまして、英国の如きは義務教育として強制的に政府がやって居る位で、子供の父兄や祖父母が可愛さの余り入学を肯んじないと景観がわざわざやって来て連れて参ります。更に英国ばかりでなく他の国々に於きましても大抵然様いう工合になって居ります。之はとりもなおさず該教育の可能なる事を世界的に裏書して居ることであります。そして又、夫が段々熾ならんとしつつあるのであります。

 さてかくして教育されたる聾唖者はどんなであるかというに彼等は彼等の生理上に安当なる、容易なる特殊の方法によって自己の能力を発揮せしめらるるによりて各自その天稟に応じて夫々の方面に展進のでありますが、夫等は実に驚くべきものか少なくないのであります。

 先ず外国の例を取って申上げましょうなら、立派に大学を卒業して夫れぞれ相当の学位を取って居ります。文豪もあります。夫れから新聞記者もあり、技師もあり、大学の教授もあり、学校長もあり、墨子もあり、随分高い地位に立っておるのでありまして、一個の紳士として堂々と些かも恥ずる所がないのであります。殊に顕著なのは、ヘレン・ケラーという婦人であります。実に最も驚歎すべき人物で、当に聾唖教育の可能を大々的に広告すべき好表徴で又該教育の成功を誇るべき材料なのであります。実に盲聾唖と三つ揃った非常に不幸な境遇にあったのですが、却て夫が非常に極端に幸福な生涯を送り得る様になったのであります。夫は一つには其家庭教師サリヴァン女史の手柄にもよりますが、兎に角かかる絶望的な身心を以て試験を受けコロンビヤ大学に入学し立派に卒業して哲学上の学位を得たことであります。それで居て発音は元より演説も出来、殊に音楽の如きも極めて巧妙なる由承知して居ります。人と談話する時も対手の肩に片手を当て其対手の音声帯の振動によって言語を感知するのであるのであります。自分からは発音で話をいたします。此の婦人はアメリカの人で今も現存して居ます。目下はポルトガルの皇室に在るという事を仄聞いたします。そして其著述も少くありませんが、「我が生涯の物語」「楽天主義」は邦語にも翻訳されてあります。

 我邦に於きましても該教育が施設されて僅々三十年位にしかなりませんが、それでも兎に角昔日に比べると手の裏返えした様に著しい結果を呈して居りますので、既に教員となって居るものは少くありまん。或は技手となり、初期隣、画家となり、一家の主人となり新聞の主筆となり普通人と肩を伍して敢て遜色を見ないのであります。画家としても相当の成功を収めて居ります。即ち今秋文展へ出品した二人のものが同時に二人共(初めてであり乍ら)入選したのであります。又工芸家としても名こそまだ顕われぬ、各所の展覧会、品評会に出品して、夫々賞牌を受領して居ります。それで教育の程度を高めたらもっともっとよくなるものと思われるのでございます。

 要するにこれ等の総合の結果を見ましても該教育の可能であることは疑もなく証拠立てられるのであります。同時に又其価値も充分認むべき余地を発見するのでございます。

 

(三)

享受の実際

 さて聾唖が斯くなるまではどういう手段なり方法なりによって教育されて来たかという事は興味の少くない話題と思います。唖が話をし、手紙を書き、画を書くということは昔日の聾唖教育不可能論者にとっては一種の奇跡とも見られましょう。必ずや驚きに打たれることと想像されます。まこと欧米人に於きましても、かのヘレン・ケラー女史の成功を見、或人が十九世紀に於ての奇跡はナポレオンとヘレン・ケラーだといった位でありますが、さもあるべきこであります。

 凡そ人間が諸有る活動を為すの単位は常に覚官の刺激によるのであります。即ち意識の発達するのは不断に覚官の刺激が繰返される為めに外ならないのであります。そこへ来ると聾唖は覚官器の欠損の結果一部の覚官が刺激に反応しない、即ち意識の要素たるべき枢要な覚官器が密閉されてるのと同様に全く用を為さない、従って其所に人並みに行かない原因が出来るのであります。夫故其欠陥を補うべく且つ代る可きものが必要なので、そして夫によって充分天賦の能力を発現せしめ現代の生活に適応せしむるのが即ち聾唖教育教授の任務であり目的でもあります。然し乍ら聾唖教育は決して容易でない、かの盲人の教育よりも七倍の骨折が要りまして、夫でもまだ充分の成功を収め得るかどうかわからない位であります。さて聾唖の覚官として唯一なる有力の武器は視覚であります。一切の知識も判断も概言すれば心的作業は一切視覚の力を経なければならないのであります。視覚は五官中第一に質の多いもので従て俗に「百聞一見に不如」と申す位、眼を信用し、聞くよりも眼で視る方が何だか確実な様に思われてるのでありますが、必しも然うではない、実は眼ほど信用出来ないものはないのであります。実際上になるとどうも大丈夫と思っても間違小事が頗る多いのであります。ですから視覚を主人として諸有る人生の資料を習得するという事は教える側に於ても、教わる側に於ても実に非常の困難と忍耐とを要するのでございます。

 そこで聾唖に教授するところの内容は普通の教育と些かも異りはありませぬ。異うのはただ其形式即ち教授の方法でありますが、夫は一般には手真似でと合致致しますが、実は古来から其教授法に就て種々の種別がございます。

 第一は発音法による言語教授であります。一概に聾唖といっても其中にはいろいろの区別がありまして聴力を試験して其結果を全聾とか半聾とか、何尺措いて時計の音を聞き得るものとか、色々の名称を付して或程度までの者には発音を練習させるのであります。然し全聾にもベル氏視話法を以て教授することが出来ます。此の発音法で聾唖に言語教授をする様になったのは独乙のサミュール・ハニウケという人が主張して起って来たもので、それで位置にゼルマン法とも申します。発音法は独乙が最も盛であります。其後アレキサンドル、ミルメル、ベル氏やジョン、コランド、アンマン氏などいう人達が理論上も実際上にも研究したし工夫したり致しまして愈々よくなって来たので遂には該法を以て教授することは聾唖教育の必須条件のように見なされる様になったのであります。乍全目的としてはまことに結構でありますが、本邦ではまだ発音を主として教える程進んでおらないのです。そういう反面には結果に就て疑問があるということになるのでありますが、聾唖教育の究極の目的は普通人社会への接触でありますから、追々該法を発達せしめ実行せねばならないと考えられるのであります。

第二は自然的符牒法であります。夫を更に手真似、身振、表情と三つに区別いたします。此の自然的符牒法は聾唖ばかりでない、普通人同志も往々使います。遙に遠い昔に還ってまだ言語というものがなかった時代にも使用したものであります。異国人同士が其国語で通りすることの出来ぬ時には矢張異うというより寧ろ上手という方が適当であります。太古の人類は始め手真似を使った併し手真似は不完全で充分意思を表わすことが其心意の発達に伴って出来なかった。そこで言語が次第に発達して来たというのでありますが、聾唖には不便、不完全なる手真似に代るべき何物もない、依然として手真似を使わねばならぬ。こうなるともう手真似は聾唖の本能的所作であります。それで私は手真似とか、符牒法とか手勢とかいうのを廃して手語と名付けたいと思うのであります。それで兎に角此符牒法には太古時代の伝統的匂い乃至色彩が仲々あるのでございます。然し乍ら夫等は一つ一つ衰減して来りまして、此点に於てのみ容易に代わるべき新しい熟語的の符牒法が次第に出来、且現に出来つつあるのであります。これは丁度日本語が維新後倍以上に増したと同機の意味で説明が出来るのでございます。夫で此符牒法が不完全であるということをいうならば、それは普通人対聾唖人又は聾唖人対普通人に就ていうことで聾唖同志に於ては決してそういうことをいう心配は無いのであります。蓋しこれは本能的所作であるということと心意発達の段階に伴って表現されるということと此二つの原因に由るともいえましょうが、聾唖同志の会話は会話其ものに於て決して不完全でも不充分でもない高調の情緒も崇高なる清操も表すことが出来難くはないのであります。夫も極めて流調に行きます。聾唖の言語としての符牒法は実に立派でもあります。系統的に按排も出来ます。それですから地球上に聾唖の存在する限り消滅しない限り此符牒法を聾唖の生活から取り去ることは至難であると断言するに躊躇致しません。かの発音万能主義の独乙に於てすら生徒は教師の居ないときには熾にしかも流調に手真似をやるというのでありますから、其他を察知することが出来るのでございます。ただ欠点ともいうべきは記録することの出来ぬのと、使用される範囲が極めて特殊で且狭いうことであります。

 さて手真似というのは読んで文字の如く片手又は双手を以て種々の物体の形態を能う限り真に然して簡客に優雅に表現するのであります。即ち家なら家屋の形を双手でして見せます。人ならば親指と小指とを残して他指は悉く握り其侭の姿勢にて二三度軽く振動させます。即ち親指は人という字の男を意味する図を示し、小指は同じく女を意味する図を示しているのであります。万事此調子で行きます。次は身振であります。これは全身を動かして表現するので例えば角力とか演劇とは戦争とか一口にいえば印象や感銘を強くさせる必要の折に使用致します。表情は喜怒哀楽の感情を表すので主として顔面に於ける所作であります。此等の三所作は元来かく別々に区別するものではなく実際は一結に同時に作用いたします。即ち手真似は主として智を代表し身振は意を代表し表情は情を代表するものであります。

 第三は人為的符牒法であります。これは前者と異って一定の約束的有意的意思から成立って居るので進歩的だともいえますが、実際の活用が前者ほど敏活でなかったり機械的無趣味的であったりする憾みがあります。さて此の人為的符牒法は指字(マニユーアル・アルファベット)と記述とに区別致します。此の指字というのはドレペイ氏が発案したものを其後多くの人々に依って改廃されて使用されて居るのであります。指字は片手でやるので便宜があります。又表現の形式から見ても端正で優美で自然的符牒法の往々滑稽に陥入り失笑を買うのに比ると仲々よいのでありますが心意の発達には副い難く又機械的に傾く結果、興味を少なからず殺ぐおそれがあるのでございます。其故か発音法と共に日本の聾唖者間には余り使用致しませぬ。本邦の指字では古河式や遠山式や渡邊式などいうのがありますが、一般には渡邊式が使用されております。その指字を一つ一つとって語を綴り句や章を為すのであります。

 次の記述は黒板なり掌なり空間なりへ文字や絵画を記すことであります。これは誰にでも出来ます。但し聾唖が既に教育を受けて相当の時機に達した上でなければならぬことを予想せねばなりませぬ。此の記述は島渡敏活に行かない欠点がありますが精確という点に於て有利であります。

 最後は混合法で即ち以上列挙の各方法を教授の内容により取捨按排し適宜の処置を致し臨機応変に使用致します。本邦現時に於ては主に此方法を採っております。これはアメリカのトーマス・カルロレッド氏がやり出したのでございます。それで位置に該法を米国法とも申します。指字や符牒でやるのを仏国法と申します。即ち聾唖教授法はゼルマン、米国、仏国の三派に分れて居るのでございます。

 以上述べました様な方法で以て漸次に聾唖の天賦を開発して行くのでありますが、要するに発音法は社会的で符牒法は主智的であります。どちらにしても成功したならば普通人に比べるとも遜色のない結果を得らるるのでございます。実地の事に就ては御来校下さいまして御観察くだされます様願います。

 

本邦に於ける聾唖教育の現状

 文部省の調査統計を標準として考察するに本邦に於ける現今学齢期の聾唖は二万人以上は優にあるものと思われます。其内現に教育せられつつあるものは二千人位で本県に於ても百五十人乃至百八十人程は在るものと信ぜられるのでございます。社会なり国家なり保護者なりが聾唖を放棄して顧ないのは実に人道上のみならず経済上非常の損失であり又悲惨であります。一歩進めて言えば人類の恥辱ともいえます。本邦ではまだ聾唖を経国問題に結びつけて考究し且計らおうとしないのは些遺憾であります。聾唖か何もしないで遊んで居るか、でなければ低度の労働に止めて置くことは何の益にもならない、却ていよいよ邪魔者になります。既に述べました様に聾唖は必ず或る方面に抜群なユニークな特色を有っております。夫を出来る丈高く引上げてやらねばなりません。殊に聾唖の様な者は所謂割合負けをして居るもので自然からは比較的僅少しか貰い受けて居りませぬから其代りに社会に於ては多く顧慮せらるべき権利を有って居るのでございます。即ち放って置いても独りで発達成長するものに力を注ぎ、左様でない者に力を入れないのは矛盾であります。夫は本邦の国勢として致方ないとしても、何時までもかくあるべきものではありますまい。兎に角聾唖者を一般に働かせることは正当なことで亦親切な仕打でございましょう。仮りに二万人の聾唖が教育の結果一日に平均三十銭宛儲けるにしても一日六千円一ヶ年二千百九十万円という莫大な勘定になります。是を不生産的に徒然にあらしめると孰れが国家に社会に将又父兄乃至聾唖自身にとって幸福となりましょうか。

 斯ういう結果のあるべき聾唖の教育機関は現今本邦に於て如何いう状態にあるかというと欧米の斯界に比較するときは甚だ心細いのでございます。欧米では該事業を公営することは当に然るべきものなることを承認されておりまして大抵は公立であります。又皇室が直接経営遊ばされてるのもあります。そして又程度もずっと高うございまして、上は大学より高等学校、専門学校、中等校という工合に普通人の教育組織と毫も異いございませぬ。

 本邦では官立が一校、盲唖共通の官立が一校、県立が共通で二校、市立が同じく共通で三校、其他五十校許りは凡べて私立で大抵経費が少いので充分にまいりませぬ。程度に於ても師範科があるのが一校、乙種実業学校程度が二校、其他は小学校程度であります。然し文部省でも該教育に就ては調査会を起して目下研究してるということですから其結果が具体的に発表される日も近い将来と考えられます。

 

 以上はほんの聾唖教育の極く一班を御紹介申上げたに過ぎません。何れ又追々申上げたいと存じております。まことにつまらぬことを冗漫に申上げ済みませんでした。


 令和元年(2019年)6月11日 更新