目次


 

【お詫び】

第80号は8月10日発行の予定でしたが、第26回日本聾啞史研究大会の日時変更や事務局の不手際等のために 1 か月以上遅れました。このことについてお詫び申し上げます。

 

第80号(2024年9月20日発行)

 内田博幸(2024)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』80:1.
 運営委員会(2024)「第26回日本聾啞史研究大会のお知らせ」『聾啞史会報』80:2-3.
 大久保 豪(2024)「『三国志』(陳寿, 裴松之注) 蜀書杜微伝における「聾」の記述 その1」『聾啞史会報』80:4-10.
 猶原拓也(2024)「ろうあ者の免許取得運動の一事例」『聾啞史会報』80:11-12.
 小間拓海(2024)「長尾隼人正一勝について」『聾啞史会報』80:13-14.
 内田博幸(2024)「和歌山ろう学校の辻本与次郎先生について」「聾啞史会報」80:15.
 西岡正人(2024)「和歌山聾学校の石碑を訪ねて」『聾啞史会報』80:16.
 末森明夫(2024)「NDL Ngram Viewと日本聾唖語彙史の接続」『聾啞史会報』80:17-19.
 事務局(2024)「事務局連絡」『聾啞史会報』80:20.

第79号(2024年5月10日発行)

 内田博幸(2024)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』79:1.
 運営委員会(2024)「シンポジウムのお知らせ」『聾啞史会報』79:2.
 平本龍之介(2024)「広島県呉市に行ってきたよ!」『聾啞史会報』79:3.
 川西 勲(2024)「旧足利盲学校と澤田正好先生」『聾啞史会報』79:4-5.
 末森明夫(2024)「『哲学探究』邦訳本にみる聾唖語彙の変遷」『聾啞史会報』79:6-9.
 運営委員会(2024)「2023/2024年度 第2回運営委員会 議事録」『聾啞史会報』79:10-11.
 事務局(2024)「事務局連絡」『聾啞史会報』79:12.

第78号(2024年2月10日発行)

 内田博幸(2024)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』78:1.
 猶原拓也(2024)「第25回日本聾啞史研究大会in群馬」『聾啞史会報』78:2-4.
 髙橋和夫(2024)「オスマン帝国の唖者(その13)」『聾啞史会報』78:5-10.
 雨森郁美(2024)「深川勝三生誕100年記念披露会」『聾啞史会報』78:11.
 川西 勲(2024)「東京も学校長の伊澤修二先生の胸像とお墓」『聾啞史会報』78:12.
 内田博幸(2024)「言語障害を持つ第9代将軍徳川家重」『聾啞史会報』78:13.
 松岡雅之(2024)「宇都宮黙霖像除幕式」『聾啞史会報』78:14-15.
 福村厚司(2024)「宇都宮黙霖が眠る西福寺」『聾啞史会報』78:16.
 西岡正人(2024)「入江神社・宇都宮黙霖の漢詩碑を訪ねて」『聾啞史会報』78:17.
 猶原拓也(2024)「濱田慎一郎氏『越前漆器の蒔絵伝承を語る』」『聾啞史会報』78:18.
 橘 雄一(2024)「教科書にない聾史」『聾啞史会報』78:19.
 運営委員会(2024)「2023/2024年度 定期総会 議事録」『聾啞史会報』78:20.
 事務局(2024)「事務局連絡」『聾啞史会報』78:4.

第77号(2023年11月10日発行)

 内田博幸(2023)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』77:1.
 高橋和夫(2023)「オスマン帝国の唖者(その12)」『聾啞史会報』77:2-10.
 佐々木徹(2023)「岩手の盲聾教育発祥の地を訪ねて」『聾啞史会報』77:11.
 川西 勲(2023)「小西信八先生のお墓」『聾啞史会報』77:12.
 内田博幸(2023)「奈良聾・盲学校の胸像」『聾啞史会報』77:13.
 松岡雅之(2023)「黙霖胸像除幕式」『聾啞史会報』77:14-15.
 川西 勲(2023)「関東聾唖史研究会の講演を聞いて」『聾啞史会報』77:16-17.
 橘 雄一(2023)「富山聾史研究グループ結成20周年記念式典」『聾啞史会報』77:18.
 橘 雄一(2023)「日本初のろうあ校長松村精一郎校長の功績板台を設置しました」『聾啞史会報』77:19.
 事務局(2023)「事務局連絡」『聾啞史会報』77:20.

第76号(2023年8月10日発行) 

 内田博幸(2023)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』76:1.

 松岡雅之(2023)「宇都宮黙霖の胸像建立に向けて」『聾啞史会報』76:2.
 佐々木徹(2023)「初代校長柴内魁三先生の胸像設置」『聾啞史会報』76:3.
 猶原拓也(2023)「岡崎盲唖学校発祥地の記念碑」『聾啞史会報』76:4–5.
 川西 勲(2023)「「日本聾話学校発祥の地」記念碑を訪ねて」『聾啞史会報』76:6.
 内田博幸(2023)「大分県立聾学校の「自立の碑」を訪ねて『聾啞史会報』76:7.
 高橋和夫(2023)「オスマン帝国の唖者(その11)」『聾啞史会報』76:8–16.
 辻 久孝(2023)「書評大阪市立聾学校人物伝高橋潔手話を守った教育者~」『聾啞史会報』76:17–18.
 運営委員会(2023)「日本聾唖史研究大会拡大実行委員会議事」『聾啞史会報』76:19.
 事務局(2023)「事務局連絡」『聾啞史会報』76:20.

第75号(2023年5月10日発行)

 内田博幸(2023)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』75:1.

 運営委員会(2023)「地域聾啞史団体活動の報告投稿について」『聾啞史会報』75:2.

 内田博幸(2023)「新潟聾学校の校名変更と銅像移設」『聾啞史会報』75:3.

 渡辺徳浩(2023)「新しくなった牽牛子塚古墳と越塚御門古墳を見た」75:4-6.

 佐々木徹(2023)「ヘレン・ケラーの記念碑を訪ねて」75:7-8.

 斎木昭孝(2023)「西川吉之助・はま子」75:9.

 末森明夫(2023)「書評 久保佐知恵・安河内幸絵(2023)「木米という文人について:木米の前半生の再検討」

          『図録没後190年木米』サントリー美術館:19–23.:聾米の失聴時期および意思疎通手段に関する遡及的類推」 

          75:10-14.

 運営委員会(2023)「運営委員会議事録」75:15.

 事務局(2023)「事務局報告」75:16.


第74号(2023年2月10日発行)

 内田博幸(2023)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』74:1.

 猶原拓也・運営委員会(2023)「第24回日本聾啞史研究大会 in 沖縄」『聾啞史会報』74:2–3.

 内田博幸(2023)「高橋福治先生の銅像を訪ねて:沖縄県立沖縄盲学校」『聾啞史会報』74:4–5.

 内田博幸(2023)「福島一雄先生の銅像を訪ねて:富山県立高岡聴覚総合支援学校」『聾啞史会報』74:6–7.

 末森明夫(2023)「書評 戸崎敬子(2007)「沖縄県における特別学級の歴史[Ⅱ]:與那嶺惟俊と渡慶次小学校の「盲唖教育」

          『琉球大学教育学部紀要』70:15-23.:沖縄聾唖教育史の射程に関する予備的考察」」『聾啞史会報』74:8–11.

 高橋和夫(2023)「オスマン帝国の唖者(その10):唖者図像の通時的考察」『聾啞史会報』74:12–17.

 大久保豪(2023)「『三国志』(陳寿, 裴松之注)魏書王朗伝 における「聾」の記述 」『聾啞史会報』74:18–26.

 末森明夫(2023)「『御府内備考』「四谷塩町二丁目 啞 十五郎」」『聾啞史会報』74:27–28.

 末森明夫(2023)「山住才三編 (明治11年) 『明治美譚:小学口授』 「聾唖にして能く職業を励み且つ老母に孝ある髪結職 の事」           にみる孝子系譜聾唖伝文 」『聾啞史会報』74:29–30.

 末森明夫(2023)「邦訳書 『仏国学制』 第3編巻5 (明治9年) 「第5目 瞽者聾唖を教育する事」 にみる聾唖語彙」『聾啞史会 

          報』74:31–34.

 末森明夫(2023)「刑法と治罪法にみる聾唖語彙 」『聾啞史会報』74:35–39.

 末森明夫(2023)「中村不折と聴覚障害:聾偉人主義と聴覚情報処理障害 」『聾啞史会報』74:40–42.

 辻 久孝(2023)「西川傳右衛門跡 」『聾啞史会報』74:43.

 事務局(2023)「事務局報告」『聾啞史会報』74:44


第73号(2022年11月10日発行)

 内田博幸(2022)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』73:1.

 山本直弘(2022)「ヘレン・ケラー女史の来岡」『聾啞史会報』73:2-6.

 内田博幸(2022)「山口県立聾学校 創立者 今富八郎」『聾啞史会報』73:7-8.

 渡辺徳浩(2022)「浜松聾唖の銘板を見て感じた事」聾啞史会報』73:9-10.

 猶原卓也(2022)「札幌聾話学校理髪部」聾啞史会報』73:11-12.

 末森明夫(2022)「《ウルトラQ》にみる唖者」聾啞史会報』73:13.

 末森明夫(2022)「天文家・草葉修」聾啞史会報』73:14.

 末森明夫(2022)「童話『唖者の国』」聾啞史会報』73:15-18.

 高橋和夫(2022)「オスマン帝国の唖者(その9)」『聾啞史会報』73:19–26.

 末森明夫・樋原裕二(2022)「三河国幡豆郡高落村百姓すへ」『聾啞史会報』73:27–29.

 末森明夫・樋原裕二(2022)「三河国額田郡下明大寺村百姓そめ・志な」『聾啞史会報』73:30–31.

 末森明夫(2022)「『画本早引』の聾図像にみる指差」『聾啞史会報』73:32-33.

 運営委員会・事務局(2022)「運営委員会議事録」『聾啞史会報』73:34.

 事務局(2022)「事務局報告」『聾啞史会報』73:35


第72号(2022年8月10日発行)

〈報告〉内田博幸(2022)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』72:1.

〈研究〉内田博幸(2022)「愛知県立豊橋聾学校の記念碑:「手話 吉川金造らのレリーフ」を訪ねて」『聾啞史会報』72:2.
〈研究〉内田博幸(2022)「広島県立広島南特別支援学校の慰霊碑と記念碑を訪ねて」『聾啞史会報』72:3–4.
〈研究〉猶原拓也(2022)「『聾啞年鑑』 からみる 「調髪」の在処」『聾啞史会報』72:5.
〈研究〉高橋和夫(2022)「オスマン帝国の唖者(その8)」『聾啞史会報』72:6–14.

〈書評〉末森明夫(2022)「『湧上聾人とその時代』」『聾啞史会報』 72:15–16.
〈書評〉末森明夫(2022)「中村三近子:聾唖史学史における江戸時代中期聾唖教育の連関布置」『聾啞史会報』72:17–19.
〈史料紹介〉末森明夫(2022)「高点前句付集 『江戸土産』 にみる 【聾】 異体字」『聾啞史会報』72:20–21.
〈史料紹介〉末森明夫(2022)「上博楚簡 『容成氏』 にみる癈字彙」『聾啞史会報』72:22–27.
〈史料紹介〉末森明夫(2022)「宮古語にみる聾啞語彙」『聾啞史会報』72:28–31.
〈書評〉末森明夫(2022)「『「悔」なれど「忍」:吉田松陰のろうあ弟・杉敏三郎考』

              :聾啞史・聾唖教育史における近世日本唖教育の連関布置」『聾啞史会報』72:32–39.
〈報告〉事務局(2022)「事務局報告」『聾啞史会報』72:40.


第71号(2022年5月10日発行)

〈報告〉内田博幸(2022)「会長のあいさつ」『聾啞史会報』71:1.

〈報告〉運営委員会(2022)「第24回日本聾啞史研究大会inおきなわ」『聾啞史会報』71:2.

〈報告〉運営委員会(2022)「オンライン 聾啞史企画」『聾啞史会報』71:2.

〈総説〉山本直弘(2022)「日本における聾理容の歴史と変遷」『聾啞史会報』71:3-7.

〈総説〉山本直弘(2022)「聾啞理髪師」『聾啞史会報』71:8-11.

〈研究〉石川俊哉(2022)「四重苦の放浪歌人 下山清(1902~1931)」『聾啞史会報』71:12-14.

〈研究〉高橋和夫(2022)「オスマン帝国の唖者(その7)」『聾啞史会報』71:15-21.

〈研究〉大久保豪(2022)「『淮南子』主術訓における「聾」の記述」『聾啞史会報』71:22-28.

〈書評〉末森明夫(2022)「近世日本の絵入百科事典にみる片輪図譜『聾啞史会報』71:29-38.

〈報告〉運営委員会・事務局(2022)「2021/2022年度 第2回運営委員会 議事録」『聾啞史会報』71:39.

〈報告〉事務局(2022)「事務局連絡」『聾啞史会報』71:40.