資料室2


藤本敏文 (1915)「聾唖教育の一斑 (1)」『芸備教育』129: 25–26.

藤本敏文 (1915)「聾唖教育の一斑 (2)」『芸備教育』130: 23–25.

藤本敏文 (1915)「聾唖教育の一斑 (3)」『芸備教育』132: 17–20.

 

財団法人全日本聾唖連盟の初代連盟長を務められた藤本敏文氏(1893-1976) が大正4年(1915年)、弱冠22歳にして広島盲唖学校の教員を務めているときしたためた講演録の体裁の記事には「聾唖の言語としての符牒法」という文脈がみられます。日本聾史研究会ではこの記事の翻刻をおこない、この記事の先駆性を紹介することにしました。なお、翻刻にあたっては、漢字の旧字体は原則として新字体に翻字しましたが、旧送り仮名はそのまま翻刻しました。詳しくはこちらへ。